2019東アジア共同ワークショップ@ソウル-17日(土) ソウルフィルドワークの案内

17日のソウルフィールドワークは三つのテーマがあります。1組 ジェンダーと人権、2組 強制動員 3組 国家暴力です。参加者たちは下の説明を読んで第一希望と第二希望を選んでください。(下段のソウルフィールドワークの選択のクリック). できるだけ第一希望に配置するつもりですが、一つのテーマに集中されてしまう場合止むを得なく第二希望に配置する(先着順、使用可能言葉、国家別などを参考)こともありますのでご了解お願いいたします。(また、組別のスケジュールは交通状況とか進行状況によってある場所は行けなくなったりなど変更できることご了解お願いいたします!)一つの組には各国別参加者が一緒に動きまして、自分の立場からみた・感じた・考えたことをよる討論会で共有したいと思います。

1組 ジェンダーと人権

3.1からろうそくの火までという主題で100年の歴史を見返る東アジア共同ワークショップでジェンダーと人権を中心としたフィールドワークをしようとします。100年の歴史の中で国家的ジェンダー暴力を如実に現す「戦争と女性人権博物館」を中心としてその周りを行きます。「戦争と女性人権博物館」は日本軍慰安婦被害者の生存者が経験した歴史を記憶し教育するところです。歴史的記憶を守ることでどう連帯活動を続けているのか。さらに女性暴力のない世の中を作るための活動を見渡してみましょう。ジェンダーと人権を主題にして韓国の社会活動を当たってみます。

時間 場所 内容
12:00~13:00 光化門の近く 昼食
13:30~14:00 平和の碑少女像 訪問と紹介
14:00~15:30 仁寺洞~益善洞 過去と接している現在を見る
15:30~16:00 大衆交通で移動 地下鉄(鐘路3街駅->孔德驛->望遠驛)
16:00~17:40 戦争と女性人権博物館 戦争と女性人権博物館の説明の後観覧
17:40~18:00 望遠驛の近くで食事 夕食
18:10~19:00 望遠驛->宿舎 ハイソウルユスホステルのトリスターホール

 

1組 ジェンダーと人権
一 : 戦争と女性人権について考えてみる時間ー戦争と女性人権博物館
戦争と女性人権博物館は日本軍’慰安婦被害者’の生存者が経験した歴史を記憶し教育して、日本軍’慰安婦被害者’の問題を解決するために活動するところです。未だに続いている戦時下性暴力の問題を解決するため連帯しながら戦争と女性暴力がない世の中を創っていく行動する博物館です。1990年、挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会・現 正義記憶連帯)が世に踏み出し始め、1994年資料館の建立準備委員会の発足で戦争と女性人権博物館の建立をはじめ1999年西大門の小さい空間に日本軍’慰安婦’被害者の歴史を知らせる教育館を建てて未来世代とお婆さんとの手つなぎが始まりました。 2004年には正式な’戦争と女性人権博物館の建立委員会’を正式に発足し、日本軍’慰安婦’被害者の名誉回復と未来世代に継がせるための人権と平和のための博物館の新たな希望の旅を踏み始めました。やがて2012年5月5日子供の日に特別なプレゼントになりその扉を開け放しました。 子供たちの特別な勉強部屋を造ってあげたいといったおばあちゃんたちの夢、私のような被害者が二度といてはいけないとの願い、また約9年の建立のため募金に参与し意志を集めてくださった数え切れない大勢の人々の力で建てることができました。
二 : 日本軍慰安婦被害者の名誉と人権回復を念願する時間ー平和の碑少女像
1992年1月8日に初めての水曜集会が始まってから20年余が経った2011年12月14日、水曜集会1000回目を向って駐韓日本大使館の前で市街闘争を続けてきた慰安婦被害者のお婆さんたちの名誉と人権回復を願って平和の碑少女像が建てられました。その後プサンの東区駐プサン日本国総領事館をはじめ全国及び海外の各地に建てられました。初期には挺対協からは墓碑とか碑石の形で構想してたが、当時キムヨンゾンの鐘路区庁長から少女の姿をした芸術作品のデザインアイディアーを提供しました。これは碑石の許可は不可であるが、芸術作品で分類されたら法的問題を避けることができるからです。キムソキョン・キムウンソン夫婦の共同作業で誕生することができました。
三 : 韓国の伝統文化と会う時間ー仁寺洞の文化の街~益善洞
仁寺洞の文化の街 ソウル市鐘路2街から安国洞十字路までの道路で長さ0.7㎞, 幅12mで1984年11月7日道路名が初めて制定されて、道路名はこの道が通過する中心地の仁寺洞から由来した。この道は朝鮮時代から使われて、安国洞十字路からは清渓川まで行けます。韓国伝統工芸品など韓国の伝統製品などを一目で見ることができる観光地です。
益善洞 ソウル市鐘路区にあるハンオク町、日帝強占期の1919年建築家であり独立運動家の’ゾンセクォン’先生が日本の民族抹殺政策に抗してハンオク100余屋を建てて今の模様を取り備えることになりました。ひっそりと静まりかえった雰囲気を作り出すハンオクの街の様子がそのまま生き生きする益善洞は、内部を現代式に改造した独特な店舗が多く、最近若者のホットプレイスである。ソウル市からソウルの最後のハンオク町として指定され、既存の建物を崩す再開発が不可能になり街の姿をこのまま守っていけそうです。

2組 強制動員

3.1からろうそくの火までという主題で100年の歴史を見返る東アジア共同ワークショップで, ’強制動員’という小主題と関連した場所を一緒に行ってみたいと思います。’強制動員’という主題は東アジア共同ワークショップのルートになる歴史的な事実であり、2019年現在にはどのように記録し記憶しているか一緒に見て考える時間を持ちたいと思います。

時間 場所 内容
12:00~13:00 光化門 昼食
13:00~13:30 歩いて移動 食堂から大韓民国歴史博物館へ
13:30~14:00 大韓民国歴史博物館 大韓民国歴史博物館の観覧
14:00~14:30 歩いて移動 大韓民国歴史博物館から植民地歴史博物館へ
14:30~16:30 植民地歴史博物館 <観覧順番> 一階:集結後博物館の簡略な紹介→一階の展示の紹介後観覧 2階 :本展示物のドーセントの説明 展望台:朝鮮時期と関係ある周辺建物などの説明
16:30~17:00 植民地歴史博物館の周辺 自由時間(近所に淑明女子大学あり)
17:00~18:00 植民地歴史博物館の周辺 夕食
18:00~19:00 大衆交通で宿舎に移動 淑明女子大駅からハイソウルユスホステルのトリスターホール

 

2組 強制動員
一 : 大韓民国の歴史全般に関する理解ー大韓民国歴史博物館
大韓民国歴史博物館は19世紀末の開港期から今日までの大韓民国の行歩を記録した博物館で、2012年12月26日に開館した最初の国立近現代史博物館です。博物館は苦難と逆境を乗り越えて発展してきた大韓民国の歴史を展示、教育、調査・研究、資料収集などを通して国民と共有しようと設立しました。大韓民国の歴史を時代別に四つの展示室にして説明しています。 第一展示室は’大韓民国の胎動’、第二展示室は’大韓民国の基礎の確立’、第三展示室は’大韓民国の成長と発展’、そして第四展示室は’大韓民国の先進化、世界への跳躍’を主題で展示が構成されています。子供博物館の’大韓民国の歴史夢の町’では子供が直接体験しながら近現代史を学ぶことができます。また、近現代史の全般にわたる色んな主題の特別展示を通して大韓民国の近現代史についた深層的なないようを見ることができます。
二 : 強制動員の歴史に関する理解ー植民地歴史博物館
日本帝国主義の侵奪の歴史とそれに附逆した’親日派’の罪状、光る抗日闘争の歴史を記録し展示する最初の日帝強占期専門の歴史博物館です。この大事な歴史文化空間は海外同胞を含め大勢の市民の寄付金と寄贈資料のお陰で建立することができました。植民地歴史博物館の案内書には’日帝残債と分断体制を克服し東アジアの平和を早めるよう先頭に立ちます。さらに東学農民戦争の’松明’から市民革命の’ろうそくの火’まで綿々たる独立精神と民主主義の価値を守り育てる道に土台になろうとします。”と書いてあります。
三 : 文化探訪ー淑明女子大学街の探訪
植民地歴史博物館がある淑明女大の一帯は他の大学街のように活気あふれるところです。韓国の大学街の風景に興味を持っていた方ならここでそれを味わうことができるでしょう。淑明女大の歴史もまたただならぬ目をつけておくべきのところです。1906年高宗の後宮の純獻皇貴妃が龍洞宮址(朝鮮明宗の息子の順懷世子が住んでいた宮闕の古跡)に建てられた明新女学校が淑明女子大の母体になります。日帝下だった設立当時我が国の教育史上に朝鮮人の校長が就任した歴史を持っています。一応自由観覧ですが希望が多ければ淑明女子大に一緒に行って学校の歴史を学ぶこともできます。

3組 国家暴力

何故帝国の殖民統治から解開された後軍部独裁が始まるのですか。国家開発を口実にして始まった軍部独裁、また開発独裁のために反対派たちを粛清した百色テロは何国かの特別な現象ではなさそうです。3組’国家暴力’フィールドトリップはソウル開発の中心地であり観光及びショッピングの象徴である明洞から出発し、7~80年代に政治犯を弾圧し拷問をしていた場所を行って見ます。冷戦が終わって民主化が始まってからこの人たちをどう覚えてきたのかも見てみます。

時間 場所 内容
12:00~13:00 光化門の近所 昼食
13:00~13:30 大衆交通で移動 光化門駅→忠武路駅(日帝軍慰安婦の記憶の跡)
13:30~14:30 ソウル歴史の道を歩く 日帝軍慰安婦の記憶の跡→元安部
14:30~15:30 明洞駅 明洞で自由時間(現在の韓国をみる)
15:30~16:00 大衆交通で移動 明洞駅→南営駅(南営洞の民主人権記念館)
16:00~17:30 民主人権記念館 民主人権記念館の説明後観覧
17:30~18:20 南営駅の近所 夕食
18:20~19:00 南営駅→宿舎 大衆交通で移動 ハイソウルユスホステル トリスターホール

 

3組 国家暴力
一 : 国家暴力の歴史を知っていく時間ー民主人権記念館
国家暴力の現場が民主人権の場に変わりました。南営洞對共分室から民主人権の場に生まれ変わったのです。1976年地上5階規模で新築され治安本部の對共分課對共分室として使われ、その後1983年12月7階に増築され今の様子になりました。南営洞對共分室は一般の人は分かることができないよう’○○海洋研究所’という看板を掛けて徹底的に偽装しました。名目上’国家安保’を捧げましたが実際には独裁政権を批判する民主勢力を弾圧するための’政権安保’の前衛隊でした。1980年記者協会集団拘束事件、金大中の内乱陰謀捏造事件、無辜の市民をスパイとして捏造したサンチョク・キムゼの固定スパイ団捏造事件、1985年民青連(民主化運動青年連合)・民推委(民主化推進委員会)事件、1986年報道指針事件など数々の学生と民主化人事、一般市民などがここで拷問と過酷行為にされました。 そして民主人権の弾圧が極限に至った1987年1月、パクゾンチョルの拷顧致死事件のその実態が世に現れました。国家暴力の代表的な場であった南営洞對共分室が今は韓国の民主化運動の歴史を記憶し民主主義と人権の価値を守護する民主人権記念館として生まれ変わりました。
二 : 一緒に記憶する歴史の道ー日帝軍慰安婦記憶の跡~南山安企部の跡
日帝軍慰安婦記憶の跡 市民2万余名から集まった募金3億5千余万ウォンで2016年8月に造成されました。記憶の跡がここに建てられた理由はここが強制韓日併合条約が結ばれた統監官邸の跡であるためです。記憶の跡に含まれた意味は’痛い歴史を忘れずに記憶しよう’ということです。
南山安企部の跡  また別の国家暴力の場所で以前独裁政権時代に国家安全企画部(旧 中央情報部、現 国家情報院)です。安企部は80年代ゾンドファン・ノテウ軍部大統領時期の情報機関として対北防諜及び政治犯の探し出し・弾圧に集中していました。旧 安企部の本庁であり中央情報部だった建物は現在’ソウルユスホステル’で使われています。元々は撤去するつもりだったが市民団体の反対で霧散になり、過去安企部の人権蹂躙を記録する市民教育場に変えようとしましたが当時大統領であったイミョンバクがこれを無視しユスホステルにりモデリングしました。
 
三: 現在の韓国の若者を分かるところー明洞
1923年以後から明洞はソウルの繁華街になって、その跡光復と6.25事変の前後にもずっとソウルの文化と芸術の中心地でした。光復の歓喜、戦後の虚無と悲哀が流れていたこの街で我が国の文化人たちは明洞街の喫茶店と酒屋などに集まって芸術と人生の虚しさを論じ、不運だった時代の恨み(ハン)と情をはらしたそうです。たいていの地域は商店街で韓国の金融中心地で先端流行文化街でもあります。近くに南大門市場と南山があり南山のケーブルカーを利用すればソウル市を一目で眺めるのができます。文化財としては明洞聖堂(史跡258)があります。

上の1組ジェンダー、2組 強制動員、3組 強制動員の三つのテーマの中第一希望と第二希望を選んで申し込んでください。(下のソウルフィールドワークの選択をクリック). できるだけ第一希望に配置するつもりですが、一つのテーマに集中されてしまう場合止むを得なく第二希望に配置することもありますのでご了解お願いいたします。(また、組別のスケジュールは交通状況とか進行状況によってある場所は行けなくなったりなど変更できることご了解お願いいたします!)一つの組には各国別参加者が一緒に動きまして、自分の立場からみた・感じた・考えたことをよる討論会で共有したいと思います。

ソウルフィールドワークの選択